熱田の歴史
- 2017/06/24
- 11:44
こんにちは鳳凰殿スタッフの片山です。
先日NHKの「ブラタモリ」で名古屋の熱田区が取り上げられて
いました。
熱田神宮は、時の権力者にとって大切な神社だったそうで、家康は
熱田神宮のある台地の上に城と城下町をつくったそうです。
番組では熱田神宮周辺の古地図を見ながら周辺を散策をするの
ですが、約400年前の古地図が画面に出た時、思わず全隆寺を探
してしまいました。全隆寺は400年以上の歴史のあるお寺様ですので、
当然でしたが、見つけることが出来ました!!
熱田神宮の南の散策で、東海道が途中で切れていて、西に行くには
どうすればよいのか?の理由を解説していました。
「七里の渡し」から海路で熱田から桑名に渡る、東海道で唯一の海路が
あることを初めて知りました。
番組では、熱田は台地のヘリでとても良い場所で、古い時代から港が
栄えていて、家康が北の台地のヘリに名古屋城そして城の南に城下町
をつくり、南の台地のヘリに熱田の町をつくったと解説していました。
そして家康は、北から南に流れる堀川をつくり、熱田と城下町を繋いで
いたようです。江戸時代名古屋は木材の巨大な集積地で、木曽川から
熱田を経由して木材が運ばれたそうです。熱田を名古屋の交易の港
として経済的な発展をねらったようです。
私は静岡出身ですので、勉強になりましたが、、名古屋の方からすれば
常識的な事だったのでしょうか?
とても興味深かったです。
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