天神様
- 2023/06/26
- 11:00
こんにちは鳳凰殿スタッフ菅原です
皆さまは「雷記念日」という日をご存知でしょうか。
平安時代、930年(延暦8)年に平安京の清涼殿に落雷があり、
時の大納言・藤原清貴(ふじわらのきよつら)をはじめ、朝廷の要人に多くの死傷者が出ました。
それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御。
この頃、平安京では長く日照りが続いており、落雷は内裏でも公卿たちが雨乞いのための相談をしている最中の出来事でした。
この事件を目撃した人々は、藤原時平(ふじわらのときひら)の政治的な策略によって太宰府に左遷され亡くなった、
菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りだと信じ、恐れおののいたといいます。
人々は彼を手厚く祀って怒りを鎮めることとしました。
そして947(天暦元)年、菅原道真は北野社に天神(雷神)として祀られることになりました。
全国にある天満宮では、学者として大変優秀だった道真が「学問の神様」として祀られています。
(天満宮は毎年受験生がよく参拝してますよね。)
当時の人々からすると空から得体の知れぬ光が降ってきて害を及ぼすわけですから、
「人外のものの仕業」などと非常に恐れられて当然です
最後に雷が鳴ると落雷を防ぐ「おまじない」
・雷よけのまじない「くわばら、くわばら」は、道真の死後に各地で続いた落雷が、
彼の領地「桑原(くわばら)」には落ちなかったことから唱えられるようになった説
・雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、
雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓ったという説
この様な理由から、「くわばら」というまじないが生まれたそうです。
面白いですね

皆さまは「雷記念日」という日をご存知でしょうか。
平安時代、930年(延暦8)年に平安京の清涼殿に落雷があり、
時の大納言・藤原清貴(ふじわらのきよつら)をはじめ、朝廷の要人に多くの死傷者が出ました。
それを目撃した醍醐天皇も体調を崩し、3ヶ月後に崩御。
この頃、平安京では長く日照りが続いており、落雷は内裏でも公卿たちが雨乞いのための相談をしている最中の出来事でした。
この事件を目撃した人々は、藤原時平(ふじわらのときひら)の政治的な策略によって太宰府に左遷され亡くなった、
菅原道真(すがわらのみちざね)の祟りだと信じ、恐れおののいたといいます。
人々は彼を手厚く祀って怒りを鎮めることとしました。
そして947(天暦元)年、菅原道真は北野社に天神(雷神)として祀られることになりました。
全国にある天満宮では、学者として大変優秀だった道真が「学問の神様」として祀られています。
(天満宮は毎年受験生がよく参拝してますよね。)
当時の人々からすると空から得体の知れぬ光が降ってきて害を及ぼすわけですから、
「人外のものの仕業」などと非常に恐れられて当然です

最後に雷が鳴ると落雷を防ぐ「おまじない」
・雷よけのまじない「くわばら、くわばら」は、道真の死後に各地で続いた落雷が、
彼の領地「桑原(くわばら)」には落ちなかったことから唱えられるようになった説
・雷神が農家の井戸に落ちて農夫にふたをされてしまったとき、
雷神が「自分は桑の木が嫌いなので、桑原と唱えたなら二度と落ちない」と誓ったという説
この様な理由から、「くわばら」というまじないが生まれたそうです。
面白いですね

スポンサーサイト