道元忌
- 2021/08/28
- 10:30
こんにちは鳳凰殿スタッフ菅原です🌼
陰暦の8月28日は道元禅師がご逝去された日です。
建長五年(1253年)に54歳で生涯をとじられました。
太陽暦での日付けに換算して、9月29日にお二人の祖師さまが示寂されたとし
その日を両祖忌と定めています。
太陽暦や旧暦などはよくききますが
なぜかわったのでしょうか。
日本の暦が、太陰暦(太陰太陽暦)から太陽歴に変わったのは、
明治5年12月3日からです。
この日は、明治5年12月2日の次の日がいきなり、
明治6年1月1日になったそうです。
ビックリΣ( ̄。 ̄ノ)ノ
太陽暦とは、地球が太陽の周りを回る公転運動を基準にして決められた暦のことをいいます。
1年を365日、4で割り切れる年をうるう年(閏年)とされています。
(ただし100の倍数の年は400の倍数でなければ平年)
現在、世界で広く用いられている「グレゴリオ暦」はこの太陽暦の一つです。
これに対して太陰暦とは、月の満ち欠けを基準にして決められた暦のことをいいます。
この暦では、新月が満月となり、欠けるまでの期間をひと月とします。
すると、ひと月は29日もしくは30日となり、実際の季節とはズレが生じてしまうことから
これを解消するために作られたのが「太陰太陽暦」です。
太陰太陽暦とは、月の満ち欠けと地球の公転期間の両者を基準にした暦のことです。
ひと月は太陰暦と同様、29日か30日ですが
およそ3年に一度、うるう月(閏月)が設けられています。
こちらの暦が太陽暦にかわる明治5年まで採用されていました。
これと同時に1日24時間制、一週間7日制も採用されています。
ではなぜ太陽暦(新暦)に変わったのか…
そこには明治新政府の深刻な財政問題があったといわれています。
旧暦のままだと、翌明治6年は“閏年”のため、
閏月が入り、1年が13ヵ月ある年になります。
当時の役人の給与は、それまでの年俸制から月給制に改めたばかりで、
このままだと明治6年には給与を13回支払わなければいけなかったのです。
まさかの財政難からだったんですね(;゜0゜)
多くの誤りやいろいろな問題を残したままの改暦で
人々は戸惑い、大慌てしたことでしょう😅
まとめ
・現在、旧暦と呼ばれているものは
月の満ち欠けと地球の公転期間の両者を基準にした暦の太陰太陽暦
・新暦に変更になったのは明治5年
理由は、財政難といわれている。
スポンサーサイト